本ブログ「ソロジン」のコンセプト
本ブログは元々私が「うつ病」になったことがきっかけで始めたものです。
「うつ病」治療の一環で、考えていることを文章にするトレーニングとして書いていました。
その後、努力の甲斐あって「うつ病」は寛解。ある意味、ブログに命を救われたとも言えます。
本ブログのコンセプトは「低スペックな私でもできる、人生攻略サイト」です。
あの手この手を使って人生攻略を目指しています。
現在は、社会の底辺スタートの私が「アッパーマス層(資産3,000万円)まで到達できるのか?」を実践検証し、情報発信しています。
そうこうしているうちに、ブログ開設から2年ほどで貯金額1,000万円を突破しました。
また、私自身、高校卒業から一人暮らしを始め、一人暮らし歴は14年以上。
そのため、「一人暮らしがもっと楽しく快適になる」情報もお届けしています。
本ブログ「ソロジン」の使い方
私は26歳のとき人生の崖っぷちにいました。
一度は「人生」をあきらめかけるも、何とか踏みとどまり、どん底から逆転することができています。
低学歴×低収入×低スペック×資格ゼロ×ブラック企業勤務×長時間労働×うつ病×睡眠障害
↓↓↓
【After】
年収3倍×定時退社×1,000万円以上の資産運用中
現代日本では「格差社会」が広がったことで、様々な弊害が起きています。
これらの問題を「何とか解決したい」方に向けて、主に次のテーマを中心に記事を書いています。
・ストレスフリーで安定したサラリーマン生活を満喫する方法
・ほぼ「放置プレイ」でも年間利回り10%をめざす「がんばらない投資術」
・介護、実家問題、仕送りなど「相談しづらい身内の問題」に対する解決策
・「うつ病」や心身の不調をケアして健康的に生きるアイデア
・一般人でも知っているとトクをする「デザイン」のノウハウ
・「損をしない」ために知っておきたい世の中のカラクリ
ブログ名「ソロジン」について
このブログ「ソロジン(SOLO-ZINE)」の正式名称は、【ポンコツさん太の「そろそろ本気で史上最高のクソゲー『人生』を攻略しようじゃないか。略してソロジン】といいます。
が、ぶっちゃけそんなことはどーでもいいです。
私自身もあまりにブログ名が長すぎて噛まずに言えないので、「ソロジン」の他にも「そろいか(ソロイカ)」とか「ジャマイカ」とか適当に呼んでます。
いちおう「“ひとり(ソロ)”でもユルく豊かに生きる、人生攻略マガジン」をコンセプトっぽく書いてますが、「完全に後付け」ですので、ご注意ください。
ポンコツさん太・プロフィール
当ブログの管理人。生まれつきの底辺スペック(5B※)にめげず、史上最高のクソゲー「人生」の攻略を目指す、赤い帽子とヒゲが特徴の人生ゲーマーです。
さらに低身長・運動音痴のオプション付豪華7点セットフル装備。正直生きるのがツラいです…
仕事や趣味など
・グラフィックデザイナー(印刷物中心)
※本ブログのイラスト、アイキャッチ画像も自作してます。
・趣味の延長で、HTML/CSS、動画編集などもできます。
【デザインノウハウの記事は下記から】
・キャンプ(主にソロキャンプ)
・資産運用(投資)
・観葉植物
・ブログ
【休止中の趣味たち】
※人生の優先度の関係でお休み中の趣味たち
・ロードバイク(自転車)
・カメラ
・料理
さん太の基本スペック
・身長:平均値をだいぶ下回る
・短足胴長(いっそダックスフンドになりたい)
・ややぽっちゃり体型→(ダイエット成功しました)
・顔面偏差値低め
※「え、彼女いないの?」とお世辞ですら言われないレベル
・第一印象は、暗そう、眠そう、幸薄そう
・不器用貧乏、要領が悪い
・性格:典型的な根暗、(都合の)良い人、チキン、(鶏肉は好き)
・頼まれると断れず損な役回りのことが多い
・自分にほぼ自信がないが、ネガティブさだけは人に負けない自信がある
・18年超の鬱を経験、薬物治療経験あり(2019年現在は寛解)
・ポケモンに例えるとウツ(鬱)ドン
・体が弱くあちこち悪い。目のアレルギー持ち
・睡眠障害あり、見る夢の96%が悪夢→(解決記事書きました)
・記憶力が悪く、30代にして認知が…
・いまだ若干コミュ症。できれば人と話したくない
・酒が飲めず、飲み会も楽しめない
・働いているが、限りなく窓際族に近い
・友達がほとんどいない
・同僚にもほとんど話しかけられない
・合コン、遊び、結婚式、飲みにすら誘われない
・気配を消せる。いやもはや大気と融合しているレベルの存在感のなさ
・20代の最後に初めて彼女ができるが、1ヶ月で破局、その後彼女なし
・しばらく結婚できそうにない
・モテ期は赤ちゃんの時に1度だけ
・良い人なのに…(沈黙)、と言われる
・車の運転がめっちゃ下手なのにSUVに乗ってた→(売りました)
・自分一人で生きるのがやっとなのに、実家も家計が炎上気味
・くじや懸賞に当たったことがない
・賭けジャンケンでは大体負ける
コンプレックスの多さとネガティブさだけが取り柄です!
このブログ「ソロジン」ができるまで
事の経緯を説明するには、恥ずかしながら、約30年前から始まった私のポンコツ人生を語らないといけません…。
0歳〜2歳
人生のピーク。長男ということもありモテまくる。一番の思い出は、親にフェリーから海に落とされそうになったこと(トラウマ)
ちなみに、人生で3度あるという「モテ期」は、全てこのときに使い果たしました。
人生にモテ期は3度訪れる。
0歳と1歳と2歳だ。
3〜5歳
両親との思い出は、よくパチンコ屋に連れて行ってもらったこと。
自力でパチンコ台のイスに上がれないので、親に手伝ってもらってイスに座り、おっちゃん達に混じって打ってました。
あと、母親の自転車の後部座席から垂直落下し、頭部強打したことくらいしか覚えてません。
(この時、頭の中の何か重要な部品がクラッシュしたようです)
小学校時代
興味の対象が昆虫・恐竜→ポケモン→遊戯王に移っていくにつれ、お金がかかるようになる。
この頃、友達とのお小遣いの差で、格差社会の片鱗を感じ取る。(多い子との差は20倍!)
習い事は特にやっておらず(お金がない)、唯一パレードなどでフラッグ(旗)を振るのをやっていたものの、上達せずすぐやめる。
運動音痴で、学年が進むにつれ周りの子達と能力の差が開いていき、草野球などに呼ばれなくなる。
小学生ですでに人生の虚無感を悟っていたのか
卒業文集に書いた将来の夢は「長生き」。
中学校:暗黒時代①
中学は自宅から最も近い、やや荒れた学校に進学。
人見知りで特技もなく学校になじめなかったため、登校拒否ぎりぎり状態で何とか学校に行く毎日でした。
相変わらず運動音痴なため、体育の授業はグループに入れてもらえない、一人余る、といった状況が続く…。
勉強も興味がなくなり、座学は完全に睡眠時間。
無気力状態→軽いうつに。
遊びは引きこもってテレビゲームが中心。
お金がないので格安ソフトをずっと遊び倒すようなスタイルでした。
高校:暗黒時代②
勉強ができないので、とりあえず家から比較的近い公立高校に進学。
それでも受験では底辺ぎりぎり。たまたまその年倍率が低かったため合格できたようなものでした。
高校でもなじめず、よく話す友達は2〜3人くらい。
クラス替えで離れると、完全孤独状態に。
(文化祭などのイベント事も何をやったか思い出せない)
部活は美術部に入部する。
最初の描いた絵が、美術教員から猛烈なダメ出しをくらい、心が折れる。
(→1ヶ月もたずに辞める。スーパー豆腐メンタル)
以後、帰宅部を貫く。
3年生の時、部員不足の文芸部からの誘いで、文芸誌に短い小説を寄稿する。
評価者の教育委員会の人(?)いわく「意味不明な内容」。
→ここでもバッサリ斬られ、文筆の道も断たれる。
運動能力は間違いなく最底辺で、体育会系のモテるクラスメイトを羨む毎日。
男女共学だが、3年間で異性と会話を楽しんだことは記憶にない。
受験シーズンとなり、多くは大学進学する中
「勉強も嫌い」
「でもすぐ働きたくはない」
という消極的な選択で専門学校に進む。
専門学校時代
パソコンくらいはできるようにと、コンピュータ系の専門に進学。
しかし就職を具体的に考えておらず「ゲーム会社に入りたいな」というぼんやり目標だったため、就職に強くないデジタルグラフィック系の学科を選択。
しかし…
一人暮らし&奨学金とバイトで自費通いのため課題をこなすのが精一杯。
スキルも劇的には伸びず、就活準備やポートフォリオは今ひとつ…。
はじめてのバイトで、同年代の学生ともコミュニケーションレベルの大きな格差があることも痛感。
(高校まで引きこもり同然の生活だったため当然ですが…)
インターネットカフェの清掃(たまにレジ)という割と閑職にも関わらず、
要領は悪いわ、顔・外見の悪さも手伝って店長・先輩から虐められるわで、バイトから帰っては悔しさで枕を濡らす毎日を味わう。
就活は、当時リーマンショック前の売り手市場。
同級生が第一志望で内定を取っていく中、全滅。
一時期輝いていた目は一気に曇りはじめる。
最初の会社:暗黒時代③
教材テキストなどを制作する開発職で採用されたはずが、入社と同時に、営業部長だった専務と課長が揃って辞めるという事態で、自動的に営業部に配属される。
(このときさすがに「やばい会社に入ってしまった…」と感じました。)
社長は技術者上がりで営業ノウハウは皆無。
まもなく唯一の先輩だった主任もメンタルを病んで辞める。
外から中途採用されてきた営業経験者たちも「この会社はダメだ」と次々に辞めていく状態。
今までの無気力とは比べ物にならない深淵を味わい、完全に「うつ病」になったのがこの時期です。
※当時の精神的なヤバさは、かなり閲覧注意レベルになるのでここでは伏せさせていただきます。
当時を振り返ってみると、休日が少なく残業代も出ない、いわゆる「ブラック企業」だったのですが、
でも現実は厳しく、思うように売上は上がりませんでした。
売上の減少を口実に減らされる給料…。
自分の価値も目減りしているように感じられ、4年半が経った冬、心身共に耐えられなくなり、会社を辞める。
ニート〜派遣社員時代
会社を辞めたものの、次の就職先や収入のあては考えておらず、将来展望もなし。
最初の数ヶ月は心身の回復のため休養。
それから少しずつ働けるようになり、簡単なオペレーションの派遣職をいくつか経験しながら、今後の職業人としての方向性を考える。
専門性を磨くこと、ハンデのある自分でもゆとりをもって働けることを念頭に就職先を探す。
専門学校と前職(営業と兼務)で少しグラフィックデザインは勉強したので、派遣でデザイン事務所を経験したり、独学で勉強。
結果、自社商品を持つ会社のインハウス(社内)デザイナーとして就職。再スタートを切る。
しかしデザイン事務所は長時間労働が常であり、心身共に調子を崩しやすい自分には続けられないと踏んでいました。
この判断は間違ってなかったと思います。
現在の会社〜まさかの暗黒時代④
成果の出なかった営業職から一転。
「制作に集中できる環境」と、何より残業手当が出る「普通」の職場環境に、当初は大興奮。
しかし、これが返ってまずかったのです。「うつ病は簡単に再発する」ことを甘く見ていました…。
最初の会社があまりに黒かったため最初気づかなかったが、客観的に見ると、今の会社も離職率やメンタルの不調などを理由にした休職率がかなり高い。
(だからそれほどキャリアが無い自分でも転職できたのですが)
だから症状が良くなっても「寛解」(一時的に治ったように見える状態)と言って呼び分けています。
そしてちょっとしたきっかけで簡単に再発するんですよね…。
気づかないうちに、心身は再び悲鳴を上げていたのです。
加えて、実家で唯一の働き手だった父も体を壊し50代にしてリタイア。
(親子揃って同じようなパターンに陥るのもDNAの精密さゆえである…)
毎月少なくない仕送りをしつつ、これから実家の面倒も見ないといけないかと考えると、
20代後半にして、自分の人生とは何だったのか?いよいよわからなくなる。
次第に、原因不明の腹痛、腰痛、聴覚過敏などに悩まされるように。
近場で評判の心療内科を訪ねると、やはり「うつ病」と診断され、投薬治療が始まる。
医師の勧めで、本格的に休職するかも検討するが…
その時の経験から学んだことを「うつ病からの脱出」に書いています。
幸い、働き改革で強制的な労働時間制限が出来たこともあり、生まれた余暇で心身のケアに集中する。
また、気持ちを整理するためにつけていた「黒いノート」を元に、同じように苦しんでいる人に向けた何か情報を発信できないかと考える。
ブログ「そろそろ本気で(ry」開設〜現在へ
30歳を機にこのブログ「そろそろ本気で(ry」を開設。
しかし精神状態に波があり、継続を断念。体調管理に集中する。
31歳、なんとか一旦の寛解にこぎつけ、ブログを再開する。
ノリで付けたブログ名「ポンコツさん太の「そろそろ本気で史上最高のクソゲー『人生』を攻略しようじゃないか。」だが、ブログの基本参考書を読み、「ブログ名は短くわかりやすくが鉄則」であることを知り愕然とする。
ブログ名を4文字にしました。(←今ここ)
【まとめ】低スペックでも「人生攻略」はできる!
以上、長文失礼しました。
私の人生は決して恵まれたものでなく、僅かな成功と数多くの失敗・挫折を経験しました。
何度も何度も人生は理不尽な「クソゲーだから」を理由にゲームを降りることを真剣に考えました。
いや、こんな理不尽・不平等だらけの社会は、ゲームとして成り立ってすらない。
そもそも望んで生まれてきたわけではないんだし、マジメに頑張る義理はないよな…?
降りよう。絶対降りよう。その方が確実にラクだ…
しかし一方で、次のような考えも頭の中に浮かんでいました。
もし万が一、自分のような底辺スペックと悪環境から這い上がることができたら、逆転できたら相当凄いことなのでは?
ポンコツな自分ですら上手くいく方法を見つけて、それを伝えられたら、
同じように悩む誰かの助けになるのでは?
「それなら、本気で人生攻略に挑戦してみよう」
これが、当ブログを始めた原点です。
ブログ名はムダに長いですが、人生どんなことにもムダはないと信じています。
…いや、嘘つきました。私の場合はかなりムダな遠回りや引き返しを経験しています。
でもそういった「ムダ」を当ブログを通じて発信することで、誰かが遠回りしなくて済むような、ささやかな道標になれば幸いです。